満州鉄道と満州事変

 二次大戦のとき、植民地の所有と戦争の行方との関係で、植民地で何が採れるかとか、本国との貿易とか、植民地からの資金繰りなどがどう戦局に影響したか疑問に思った。例えばアジアでは満州事変以降交易の大半は日本になる。これで経済が成功したので関東軍を抑えられなくなり、当時のシンクタンク満鉄調査部は左右仲良くやっていたのに、左翼がつかまってしまう。ソ連の資料のオゾ文庫は大量の蔵書で、ソ連の研究も大変進んでいたのだが。この蔵書は戦後どこに行ったのだろうか。しかも関東軍ソ連満州引き上げの交渉もできず代わりに満鉄がやっていた。左翼が生きていれば交渉は違っただろう。満鉄は張作霖を評価していた。彼は人物で丁々発止の駆け引きだったのだが満州事変で軍が爆死させた。満鉄は賛成しかねたが、経済の伸長から来る国の世論の大勢にしたがってゆく。満州事変は短期的には経済を伸ばすがその後の戦局には悪影響を及ぼした。アメリカの感情もあるし、息子の張学良は蒋介石共産党との抗日戦線を強いる。ソ連参戦は英米の要請だが、これにはソ連が獲得したい領土などもあった。スターリンにより満鉄の資産12億ドルはソ連のものとされた。樺太北方領土もロシア領となる。捕虜もジユネーブ条約違反だが強制労働につかされる。中国は捕まえて思想教育、思想改変をさせただけらしいが、当時のソ連中国共産党への評価は低かったようである。