民主主義の基盤

 民主主義と言われる国家で、グローバリズムなどのトランスナショナルな動きも含めてだが、資本の独占が進行すると、余暇や余力、教育の機会など、民主主義を支える基盤は破壊されていく傾向にある。一方旧ソ連では、労働者は余暇に知的努力にいそしむことが指導されてはいたが、実際はそのようなことはできなかった。むしろ労働意欲は削がれ不採算性のためか経済はうまく行かなかった。労働が簡素化され余暇を有意義に使える理想とは多くが異なっていた。冷戦に富が使われて余力がなかったであろうことは確かだが、経済競争でも国内にかぎるとはいえ民主主義でも明らかに資本主義側が勝利していた。しかし現代では資本主義の側に民主主義の基盤を壊す構造が進み、自由は主に資本による経済的自由を指すかのような様相は更に進行している。市民的自由、民主主義を取り戻すにはある程度の平等と余暇など基本となる要素が保障されなければならない。それには社会権的な権利を人権規定として確立される社会を目指して行くことが一つの方法ではないだろうか。フランスのようなサンディカリズム、すなわち組合主義などは労働者の権利意識も高め、そういう方法は成功例だと思うが、国際競争も含め、競争社会という現実とどう折り合っていくかが問われる。市民社会の幅の広い層の知的な面の向上と意識の高まりが必要で、そのためには個々の人々がデジタルやトランスナシヨナルな繋がりで今以上に団結行動していくのが重要ではないだろうか。